ウルトラマラソン

 昨日(11/29)の朝日新聞(朝刊)に来年の6月に岐阜県で「第1回 飛騨高山ウルトラマラソン」が開催される、という記事が載っていました。種目は100キロと73キロがあり、いずれのコースも上り下りが続き、100キロの場合は累積標高差が2707m(日本一)という厳しいものだそうです。制限時間は100キロが14時間、73キロが11時間で、参加申し込みの受付は明日(12/1)からです。
 フルマラソン(42.195km)でさえ、やっとのことで何とか完走できる私にとって、100キロを走ることのツラさを具体的にはイメージできないのですが、相当なものだろうとは想像できます。100キロという距離は、自動車で走ったとしても、ちょっとめんどくさいかもしれません。
 村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』というエッセイの中に北海道のサロマ湖100キロウルトラマラソンに出場したときの事が書いてあったのを思い出し、その部分を読み返してみました。走っている途中の描写を読んでいると、「やっぱり100キロなんて走るもんじゃないな」と思ったのですが、75キロを過ぎたあたりから「何かがすうっと抜ける」ような感覚があり、ゴールした後にはフルマラソンでは得られない「諦観」のようなものを感じた、という村上さんの感想を読むと、そういう感覚も味わってみたいなぁ、という気持ちにもなりました。いつかは100キロを走ってみたい、と今は少しだけ思います (^^;)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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