スポーツの進化とテニス

 スポーツというのは、進化する種目もあれば、しない種目もあります。例えば、相撲(これをスポーツと呼んでいいかは別として)は進化することなどなくて、仮に100年前の横綱がタイムスリップして現代にやって来て対戦したとしたら、白鵬に勝つかもしれませんし、勝てないまでも番付上位に入って良い成績を収めるであろうことは想像に難くありません。一方、時代とともにどんどん進化しているスポーツもあります。例えば、100年前のウインブルドンの男子シングルスの優勝者が現代の選手と対戦したとしたら、ジョコビッチナダルに勝つことは100%あり得ないし、我が日本の錦織選手にだって、錦織選手が太ももの痛みで途中棄権しない限りは100年前の選手が勝つことは絶対にあり得ません。それどころか、世界ランキング100位内に入ることさえ危ういでしょう。これは、100年前の選手が運動能力が低いとうことではなくて、テニスというスポーツ自身が進化してきたからと言えます。その進化の原因は、テニスにおいては道具(ラケット)の進化が大きいですし、トレーニング方法およびそれに伴うパワーの向上があります。

 スポーツにおける「進化」は、昨日までのチャンピオンにパワーとスピードとテクニックで打ち勝って新しいチャンピオンが誕生し、それをまた次の選手が超えようとすることによって、ずっと続いてきました。しかし、そういった進化が観る側にとっても良いことかと言うと、必ずしもそうではありません。例えばテニスは、パワーとスピードを極限まで上げる方向で進化してきた結果、テニスというスポーツが本来持つ面白さが失われてきているように思えて仕方がありません。パワー、スピード、テクニックのバランスが上手く取れている試合が観ていて面白いものなのです。このバランスが最も取れていたのが'80年代から'90年代にかけてだったと思います。こういった進化が逆戻りすることは無いので、このままパワーとスピードの限界が行き着いたところでテニスというスポーツの進化も終わり、そこから先は段々と飽きられていく、という末路が待っているのかもしれません。もうあの頃('80〜'90年代)のテニスが戻ってくることが無いのは寂しいですが、あの頃のテニスをリアルタイムで観れたことは私にとっては大切な宝物のようなものです。

 

 そんなテニスというスポーツが面白かった時代に登場した2人のプレーヤーを描いた映画がありましたので観ました。『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』。ウインブルドン5連覇が懸かった大会を前にプレッシャーに苦しむボルグと、アメリカの新星、マッケンローという2人のお話なのですが、ボルグをメインに描かれていて、マッケンローの大ファンだった私としてはやや物足りなかったのですが、映画としてはよく出来ていたと思います。ただ、こういう「事実に基づいた映画」というのは、事実に反するストーリーにすることは出来ないという制約があるので、あの時代のテニスに激しい思い入れが無い人が観たら退屈に感じるシーンも少なからずあろうかと思います。

ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 [DVD]

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 この映画でボルグを演じている俳優は、メイクしてテニスウエアを着ると本物のボルグにかなり似ています。一方のマッケンローはあんまり似ておらず、先述のように彼の大ファンだった私としては、感情移入が妨げられました。本当のマッケンロー の、天才特有のアブナイ雰囲気が醸し出されていなかったことは残念でした。でもまあ、そういう雰囲気が醸し出せて、ある程度テニスが出来て、尚且つ左利きという俳優を見つけるのは簡単ではないので、仕方がないのでしょうけど。

下の画像は、左が映画、右が本物です。

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