卯月

 所用で京都へ。いつものように伏見稲荷大社の前を通りかかると、入口の鳥居の脇に植えてある桜が満開でした。しかし写真に撮ってみると光の角度が逆光気味だったこともあり、あまり綺麗には写ってはいませんでした。ところで、よくよく思い起こしてみると、ここに植えてある木が桜だとは今まで全く気が付きませんでした。というか木が植えてあることすら意識していなかったと思います。毎月のようにこの場所に来ているにもかかわらず、視界には入っていてもそれに注意を払うことはありませんでした。それが桜の花が満開になっているのを目にして初めて「ああ、ここに桜があったんだ」と気が付いたのでした。そして桜が散るとまたこの木を意識することは次の年のこの時期になるまで無いのだと思います。そしてこういうパターンは桜だけでなく他の植物にも(桜ほど強い印象を伴うことはないにせよ)当てはまりますし、もしかしたら人間にも当てはまることがあったりするように思えます。

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