黄色い紙テープ

 先日聴きに行ったA氏の講演会で、本題とは関係ない余談として紹介されたエピソードがあり、個人的にはその話が妙に気に入ってしまいました。
 そのエピソードというのは次のようなものでした。A氏の長男が大学を卒業して社会人になるに際し、一人暮らしを始めるべく家を出ました。長年使ってきた長男の部屋には勉強机と椅子だけが残されていました。A氏はその椅子に腰を下ろし、これまで長男と過ごしてきた日々の思い出に浸りつつ、何気なく勉強机の引き出しを開けると、10センチほどの黄色い紙テープの切れっ端だけが入っていました。
  A氏の奥さん、つまり長男の母親は水産学・海洋学の研究者で、A氏と結婚して子供が生まれてからも、フィールドワークのために日本各地、時には世界各地の海へ船に乗って出掛けて行くことが多かったのだそうです。母親が不在中はA氏が頑張って仕事と子育てを両立させていたのですが、子供にとってはやはり母親が、研究のためとはいえ、傍に居てくれないのは寂しかったに違いありません。
 ある時、長男がまだ小さい頃、母親が船でフィールドワークに出掛けるのをA氏と長男が港へ見送りに行きました。船出の時に紙テープを投げて、片方を船に乗っている人が、もう片方を陸地にいて見送る人が持っていて、別れを惜しむ、という光景をテレビとか映画で見かけたことがありますが、この時は陸地にいる長男と船の上にいる母親との間が黄色い紙テープで繋がっていました。船が岸を離れ、紙テープは少しずつ伸びていき、やがて無情にも切れて、母親は遠くへ行ってしまい、長男の手には黄色い紙テープの切れっ端だけが残りました。
 長男はその紙テープを家へ持ち帰り、大切にとっておいたのでした。まだ小さかった長男にとっては母が不在になることによって、当然寂しさを感じますし、母への愛情は増幅されたことでしょうし、どうして遠くへ行ってしまうんだろうかといった理不尽な思いもあったことでしょう。そういういろんな感情が詰まった象徴としての黄色い紙テープを、長男が社会人になるに際して引越し先に持っていかなかったのは、もうそこからは卒業して、今度は自分が社会という荒海に乗り出して行く、船出の時なんだ、という強い決意が込められているようにも感じられます。

  A氏は様々な活動で多忙な合間を縫って執筆活動も行っており、小説も何冊か出しているようですので、是非、この黄色い紙テープのエピソードも小説にしてくれないかなぁ、と期待しています。