競輪に関する記憶

 小学生の頃、近所に競輪選手が住んでいました。そこそこ大きな家で、昼下がりにその家の前を通りかかると、その競輪選手自ら大型の高級外車にワックスをかけて丹念に磨いている姿をよく見かけました。そのような外車を持っている人はこのあたりではその競輪選手ぐらいでしたし、他にも外国の大型狩猟犬を2〜3匹飼っていたりしたので、「競輪ってのは儲かるん商売なんだな」と子供心に感じたものでした。

 一方、競輪場も同じ地域内にありました。レースのある日の夕方には小学校から家へ帰る私たちと競輪が終わって駅の方面へ歩いてくるギャンブラーたちの群がすれ違うことがよくありました。夕陽に照らされてトボトボと歩いていく彼らの姿は、どう見てもみすぼらしく、ギャンブル以外の人生においてもきっとパッとしないであろう雰囲気が濃厚で、詳しい実情は勿論わからないのですが、「こういう大人になっちゃダメだな」ということを無言で子供に一発でわからせるネガティブな空気をまとっていました。

 そういうものを子供の頃によく目にして「ギャンブルはダメ」という印象が心にしっかりと刻み込まれていたせいなのか、大人になって周りの人がパチンコや競輪、競馬などを行うようになっても自分では全くやろうという気にはなりなりませんでした。別に競輪・競馬自体を問題視しているわけではないですし、会社にはきちんと仕事をこなす一方で趣味のひとつとして節度ある範囲内でギャンブルを楽しんでいる人がいて、その人たちに対して嫌悪感を抱いていることもないわけですが、自分の中には「ちょっとだけやってみようか」という気さえ起こらないのは不思議と言えば不思議です。「三つ子の魂百までも」とはよく言ったものだなあと思いました。