Peace on Earth

 もの心ついた時には、既に戦争は過去の出来事として私の目の前にあり、広島・長崎に原爆が投下されたことも、この国が戦争をしていたことも、多くの命が奪われたことも、単なるひとつの歴史上の出来事に過ぎず、まるで博物館に陳列してある干からびた標本程度のリアリティしか感じることは出来ませんでした。また、その出来事を源とする歴史の流れは、時代とともに勢いを失っていっていることに気が付いてはいましたが、被爆国に住んでいながら、自然の成り行きに任せて消えるものは消えていけばいいじゃん、と心のどこかで無意識に思っていたことは否めません。それに対する罪悪感はあるものの、では果たしてどのくらいの日本人がこれら一連の歴史を他人事ではなく当事者として捉えているのか、大していないんじゃないの、と考えることにより、静かに湧き上がってくる罪悪感を相殺していました。
 その一方で、年齢を重ねるごとに、新聞・テレビ・雑誌・小説・映画等を通して、好むと好まざるに拘わらず、あの戦争に関する知識は少しずつ増えていきました。また、アメリカに滞在した間に出会ったアメリカ人やヨーロッパやアジア、アフリカからの留学生とのコミュニケーションを通して、彼らの物の考え方やその背景を知るに至りました。
 こういったいろんな知識や経験を脳ミソの中に無造作にぶち込んで放置しておきました。初めのうちは小さな断片でしかなかったそれらの知識や経験が、やがて頭の中で繋がりを形成し、「!」と閃くことが、恥ずかしながら、やっと最近になって増えてきました。
 こういった経緯で辿り着いた取り敢えずの極めて個人的な現段階の中間的な結論は「やはり、あの戦争のことをもう一度ちゃんと検証する必要があるな」でした。単なる一般常識として最低限の知識を身に付けるという意味ではありません。この国が、世界が、この惑星が平和になるためのヒントがそこにあるように思えてならないからです。