運休

 確か先週は、水曜日に台風の接近による大雨の影響で電車が止まってしまい帰るのが遅くなったのですが、今日は踏切事故により私が帰る方面の電車が運休してしまいました。仕方がなく改札の前で定期券を提示してJRへの振り替え券を貰いました。その際、係の人が「ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。」と一人一人に対して丁寧に頭を下げていました。別にその係の人とか鉄道会社に責任があるわけじゃないので、そういうふうに謝ってもらうのは何だかスジ違いのようにも感じましたが、まあ言う方だって別に心底申し訳ないと感じているわけではなくて、あくまで形式的に言っているだけなんだでしょうけど。

 もう数年前になりますが、NHKチャットモンチーというバンドのドキュメンタリーを観ていたら、ベースの子(現在はドラム担当らしい)が次のようなことを話していました。ある日、東京の地下鉄だか山手線だかのホームで待っていると、事故のため電車が遅れるというアナウンスがあり、それを聞いた他の客が「ちぇっ、遅れんのかよ」みたいなことを不満げに言ったそうです。その様子を見たチャットモンチーのベースの子は、いやそれは違うと、事故に遭った人を気の毒に思うべきであって、電車が遅れることに不満を表すのは間違っているし、人としてあまりにも思いやりに欠けるのではないか、と語っていました。確かに、私もそのドキュメンタリーを観た時はそう思いました。どんな事故だって、お茶の間のテレビで観たり新聞記事で読んだりする分には、かわいそうにとかお気の毒にという感情が真っ先に湧き上がってくるものです。しかし、それがいざ自分に何らかの影響が及ぶ状況で発生した事故となると話は別で、恥ずかしながら私のような心の狭い人間は、表面では「こういう時はかわいそうにって思わなきゃ」という理性がかろうじて働いたとしても、事故を起こした張本人に対する不平不満の感情が心の奥底からこみ上げてくるのを認めざるを得ません。自分を正当化するつもりはございませんが、事故が起こった結果、多くの乗客が待たされるなどしてそれぞれの人から「時間が奪われる」ことになります。「Time is money=時は金なり」であるからして、時間を奪うことはお金を奪うことと同じです。少々乱暴に言い換えると、事故が起こったために一方的にお金を奪われ、それに対して不満を表明すると、「いや、事故で人がケガしている(あるいは命を落としている)のだから、お金を取られたぐらいで文句を言うなよ」と言われているのと同じように思え、理不尽さを感じてしまいます。かと言って、そういう状況下で不平不満をおおっぴらに表現する人が大部分という社会があったとしたら、それはそれで殺伐としていて決して棲み易くはないのでしょうが。