農耕民族のDNA

 通勤で利用している電車が事故等の理由で運転が見合わせられることが年に何回かあります。並走しているJRでも運転見合わせが時々発生し、利用客は振替輸送、つまり普段は私鉄を利用している人がJRを利用したり、その逆だったりすることがあるわけです。中には時間をずらして運転が再開するまで待つ人もいるのかもしれませんが、多くはそのまますぐに振替輸送を利用するので、当然のことながら駅のホームも電車内もギュウギュウ詰めになります。しかし、乗客達は文句を言うことも無く、ただ黙って電車に乗る順番を待ち、すし詰めの電車に黙って揺られていくのでありました。これが他の国だったら、暴れたり、器物損壊したり、駅員に罵詈雑言を浴びせる人がいてもおかしくない状況だと思うのですが、日本ではそんなことは起こりません。あの東日本大震災で交通がストップした時も取り乱すことなく冷静に行動し、それが世界から賞賛されたのでした。こういった日本人の気質というものは、おそらく日本人が農耕民族であることと無関係ではないように思います。農業においては、せっかく丹精込めて育て上げた作物が台風によって一瞬でダメになってしまうことだってあるわけですが、自然を相手にしている以上はそういうことだってあるのだから、それに対して文句を言ってもダメになった作物が元に戻ることはないので、ただ黙ってまた地面を耕すしかない、という諦めにも似た達観が日本人のメンタリティの本質なのではないかと、満員電車に揺られている人々を見て考えました。そいういうDNAが我々日本人の中には組み込まれていて、そうでない遺伝子は淘汰されいき、そうである遺伝子がより強固になっていったように思います。そしてその遺伝子は農民が少なくなった現代においても我々の身体の中に息づき、次の世代へと受け継がれていくのでしょう。