デジタルと銀塩

 先週の父の誕生日に身内が集まった際に撮影した写真をプリントしてきました。その写真はフィルムの一眼レフカメラで撮影したのですが、写真屋さんへ行って現像に出す時間がなかなか無くて、1週間も経ってしまいました。よく考えてみたら、普段ブログに載せている写真はiPhoneで撮影したものばかりだし、それ以外に写真を撮る機会が全く無かったので、フィルムで撮影するのは本当に久しぶりでした。

 そのフィルムは、何度か利用したことがあるお店に出したのですが、仕上がったプリントを見てがっかりしました。被写体とか構図とかは、自分で撮影したのですから当然その通りに写っているのですが、印刷のクオリティがあまりにもひどくて、せっかくの記念写真が台無しになってしまっていました。どうやら、写真屋さんにおける現像・プリントという工程が、従来のフィルム専用の機械ではなくてデジタル用のものに変わったことが仕上がりのクオリティがひどくなった原因のようでした。今どきフィルムで撮影する人はほとんどいないでしょうから、デジタル用の印刷機器が導入されるのは当たり前だとしても、いくらなんでもこれはないよな、と感じる仕上がりでした。

 私が今でもフィルムのカメラで撮影しているのは、デジタルには無いフィルならではの豊かな階調はやはり捨て難いものがあるというのが主な理由です。レンズにしても、ああでもないこうでもないとすごく迷って悩んで、「お嫁さんを選ぶ時でもこれほどまでに真剣にはならないのではないか」というぐらい考えに考えた末に選んでいて、そういったレンズの個性とか味わいを忠実に表すことが出来るのもフィルムの特徴です。

 しかし、いくらフィルムやレンズが優れていても、最終段階のプリントの技術がお粗末ですと、今回のように全てが台無しになってしまいます。
 デジタル一眼で撮影したとしても、町の写真屋でプリントしている限りは結局同じような仕上がりでしょうから、こうなったらもうデジカメを使用するにしても、JPEGなどの圧縮ではなくてRAWで撮影したデータを専用ソフトを使って自分の手で細かい調整をしないと、納得のいく写真は出来ないのかもしれません。
 フィルムからデジタルへの移行自体はテクノロジーの進化であることは間違いなくて、それによる恩恵も確かにたくさんあるのは事実ですが、失ってしまったものもあることを思い知らされました。