おもてなし

 昨日までの記事に書いたように、私の石川県に対する愛着は昨年までよりもまた一段と強さを増したのでありました。どうしてそんなにも石川県が好きなのかというと、美味しい寿司が食べられるからだけではありません。居心地が良いとでも申しましょか、そこで接する人々に温かさを感じるからだと思います。その「温かさ」というのは所謂「おもてなし」の心と言えるかもしれません。

 「おもてなし」という言葉は、例のオリンピック招致のプレゼンで使われてから一気に注目され、その年の流行語大賞にまでなってしまいました。それまで「おもてなし」という言葉は、言葉の世界の中の然るべき位置に納まって静かに過していたのに、ある日突然表舞台にひっぱり出され、強烈なスポットライトを浴びせられ、こねくりまわされ、手あかにまみれ、かすり傷がたくさん付けられていくうちに、「おもてなし」という言葉が持つ本来の意味が薄れてしまい、いつのまにか軽々しい俗な概念をまとった言葉に成り下がってしまいました。

 そんな「おもてなし」の本来の姿を石川県に来て再発見した気がします。それは、ファストフード店の店員のとってつけたような笑顔でもなく、都会の高級ホテルのスタッフの慇懃な態度とも違うもので、心から湧き上がってくる思いやりが念となって伝わってくるのを感じます。それは例えば接客業の人が商売上必要だからトレーニングして身に付けたものでもなくて、もっと長いスパンの歴史や文化の中で育まれて、人々の心に備わってきたのだろうと考えられます。こういう無形の文化はこれからも連綿と受け継がれていくことを望みます。どこかの国から傍若無人な観光客が大挙して押し寄せて、土足で踏み荒らされることによって消滅してしまうことなどありませんように。