弥生の京都

 今月も所用で京都へ行ってきました。一応まだ「まん防」中ですが、というか3月6日までだったのが21日まで延長されることが決定されましたが、今回の「まん防」にも明確な科学的根拠が無く、政治的な思惑だけがあるということに誰でも気が付きますし、さすがにもうこれ以上付き合いきれんわ、と思った人々が多いのか、新幹線の中も京都の街もここ最近では一番の人出でした。

 そしていつものようについでに伏見稲荷大社を参拝してきました。本殿でお参りした後に御神籤を引くと末吉でした。伏見稲荷の御神籤は最初に和歌があって、その次にその解釈が書かれています。今回は次のように書かれていました。

「時雨するいなりの山のもみじ葉は青かりしより思ひそめてき」

「このみさとしは、ふとした縁によりて男女の結ばれる兆である。和合のよろこびはあるが、色好みは禁物である。」

 最初に書いてある和歌の何処をどのように解釈したら「このみさとしは〜」以下のようになるのか全く分かりませんでした。そこでネットで検索してみると、ヤフー知恵袋で同じ和歌について質問していたのでそちらを引用させて頂きますと、これは古今著聞集の和泉式部に関するエピソードの中に出てくるもので、ある男性から式部への求愛の和歌なのだそうです。外出先で時雨にあった式部に蓑を貸して差し上げたのは僕で、その時からお慕いしています、という意味の歌なのだそうです。なるほど、確かにふとした縁から関係が始まるという意味が込められております。現代の映画とかドラマでも、急に雨が降ってきて、それがきっかけで・・・みたいなシーンはたくさんあってかなり手垢がついたベタな演出ではありますが、そうであってもいまだにそういうシーンが描かれるのは、そういう出会い方にキュンとくる日本人が多いからであり、そこに美学を見い出す感性は和泉式部の時代から我々の心の中に連綿と受け継がれてきたDNAのようなものなのかもしれません。 それにしても上記の解釈文の中に「和合」とありますが、普段使う言葉ではなく、何だかお笑いコンビの「すゑひろがりず」が使う言い換えのようで少し笑ってしまいました。