Jリーガー

 先日、仙台を訪れた際、サッカーのスタジアムへ向かう車の中で妹の旦那のお父様(以下、妹ダンナパパ)にサッカー関係の話をいろいろと聞かせて貰ったのですが、その中でも興味深かったのがJリーガーの引退後のキャリアについてでした。サッカーはあらゆるスポーツの中でも運動量が多い方で、技術もさることながら豊富な運動量をこなせるだけの高い体力が基盤としてあることが要求される種目であります。従って、プレーヤーの年齢層は自然と若くならざるを得ず、野球だと大学や社会人を経てプロ入りする人も結構多いのに対して、サッカーでは高卒でプロのチームと契約する例は珍しくないどころかかなり一般的であると言えます。選手がチームと契約を結ぶ際には間に代理人が入ることが多く、契約金の額に応じて代理人が受け取るコミッション(手数料)が変わってくる、即ち契約金が高ければ代理人はそれだけ多くの収入を得ることが出来るため、代理人としては少しでも高い値段で売り込もうとして、その選手に勲章をいっぱい貼り付けて「このプレーヤーはこんなにすごいんですよ!」と盛り立てることになります。選手の方もそういう扱いを受けているうちに舞い上がってしまいますし、チームの方も「そんなにすごいプレーヤーなら契約してみるか」と決断することになります。
 しかし、サッカーで御飯を食べていける人なんてほんの一握りで、華々しくプロ入りしたはいいものの、2年でクビを切られてしまうことも決して珍しくありません。毎年多くの若者がプロ入りする裏では、これまた多くの選手が辞めていくのが現状のようです。社会人としてはまだまだ可能性のある若者が2年で放り出されて、世間のこともよく分からないままパッとしないその後の人生を送っていく様を目にした妹ダンナパパは、これではあまりにもかわいそうだから何とかすべきだ、ということを当時のチェアマンであった川淵氏に進言しました。これを受けて川淵氏は、「そんな考えは甘い」と、「プロなんだから何とか生き残っていくために必死にならなくちゃだめで、そうでないと日本サッカーのレベルは上がらない」と言ったのだそうです。しかし、そうは言ったものの、その後で思うところがあったのか、川淵氏はすぐに選手が引退した後のサポート体制を構築しました。妹ダンナパパ曰く、必要だと判断したことは直ちに実行に移すのが川淵氏の良いところなのだそうです。そういった経緯で出来た体制(引退したプレーヤーが次の職場を見つけるためのサポート)は今のところうまく機能しており、就職先の会社の担当者からは「こういう人をもっと紹介して欲しい」と言われることも多いのだそうです。(ちなみに、妹ダンナパパは、もしも自分の身内がサッカー選手になりたいと言い出したら、絶対に反対すると言ってました ^^;)