松の木

 何年か前にある著名人(A氏)の講演を聴きに行きました。途中、客席からの質問にA氏が答えるコーナーがあり、まずは来場者の中で最年少の小学生の女の子(7~8歳ぐらい)に「何か訊いてみたいことがありますか?」とマイクが向けられました。その女の子は「う~ん・・・」と暫し考えてから「今までで一番怖かったものは何ですか?」という質問をしました。子供らしくて微笑ましいこの質問に対してA氏は、幽霊を見たことがある、ということについて語り始めました。怖い話は私も得意ではないので、ここにその詳細を書くことはしませんが、A氏は自宅の庭の松の木の枝の上にそれが現れたのを目撃したと言っていました。この時は、その木が松であることの意味は特に気に留めませんでした。たまたま庭にあったのが松だっただけで、もしも桜の木や梅の木であったとしても同じように枝の上に現れていただろう、というぐらいに解釈しました。

 それから月日が流れ、最近になってあるラジオ番組で能楽について話しているのを聞くともなく聞いておりましたら、能楽の舞台の後ろに必ず描かれている松の木の話になりました。それによると、松というのは神や霊の依り代(よりしろ)となるもので、能楽を演舞する際にその松の木に「能楽の神様」みたいな存在が降臨するのだとか。そう言えば、また別のラジオ番組で内田樹先生が、能というのは憑依型の芸能であり、舞台の上で舞う人間は世阿弥の世界と現在を繋ぐ導管のような存在である、というようなことを言っていたのを思い出しました。そこで私は、なるほど、松の木にはそういう特別な役割があるんだな、A氏が目撃した霊が現れたのが松の木だったのも、たまたま松の木があったからではないのだな、そう言えばお正月の門松の松も神様の依り代だと言われているし、と私の頭の中で幾つかの点が繋がりました。

 そこで思い出したのが、我が家の庭の松の木。うちの庭には結構立派な松の木がありました。しかし、松の剪定というのは特殊な技術を要するものらしく、近頃ではそれが出来る植木職人が少なくなっていて見つけるのが大変だという理由で、私が知らぬ間に父と母の判断で暫く前に切られてしまいました。ある日帰宅すると松の木が無くなっていたのは大きなショックでした。そして松の木の依り代としての役目を知った今、我が家から松の木が無くなったことは、単に思い出の物が無くなったことに対する喪失感や精神的なショックだけでなく、もっと大きな意味がある、つまり依り代が無くなってしまったのだなと知るに至りました。今更庭にあらためて大きな松の木を植えるわけにはいかないので、盆栽でも買ってこようか ^^;)