コロナ関連のニュースをつい見てしまうわけ

 先日、人類の進化と脳に関する本を読んでおりましたら面白い記述がありました。人間の身体や脳は飢餓や干ばつ、感染症から身を守れるように進化してきました。その身体の仕組みは数万年単位の長い年月をかけて築き上げられたもので、例えば現代のように飢餓の心配がほぼ無くなっても大昔に出来上がった身体の仕組みは急には変わらないので、目の前に食べ物があれば食べてしまい、飢餓なんてもう起こらないのにそれを脂肪という形でどんどんと貯め込んで飢餓に備えようとします。大昔の人類にとっては干ばつも大きな脅威でした。そこで人間の体は干ばつに対応するために水が無いと不安感が増し、水があると安心するというふうに進化しました。その身体の仕組みは今でも残っているので、小川のせせらぎのような水の音を聞いただけで安心感に包まれて心が和んだりします。そして人間の体は大勢が感染症で命を落とすという現実に基づいて進化してきました。素晴らしい免疫システムを発達させたのもその進化のひとつです。それに加え、感染を回避する行動も身に付けました。ウイルスや細菌が身体に入らないように予防するのは入ってしまってから対処するのと同じくらい重要だから。相手を見ただけで病気だと察知する能力もそのひとつで、更には観戦した人たちの情報を欲する衝動も持つように進化しました。誰と距離を置けばよいのか、そういう情報は命に関わるほど重要だったからです。そういう衝動は現代でも我々の身体に備わっているので、ウイルスが広がり始めるとそれに関するニュースを見るのをやめられなくなります。なるほど、何だかちょっとコジツケっぽい気がしないでもないですが、毎日毎日コロナに関するニュースが垂れ流されて多くの人がそれを見てしまう裏側にはそういう進化の事実があったからなんだなぁ、面白いなぁと膝を叩きました。