サマージャンボ宝くじ

 サマージャンボ宝くじの販売は25日まででした。名古屋駅前の売場では、ハッピ姿の店員が「さぁ、本日最終日となっておりますぅ〜!」と道行くに人達に向かって声を張り上げていました。そんな呼び込みにつられて、「もしかしたら当たるかも・・・」という予感のようなものを感じてつい買ってしまったことが過去にはありましたが、今年はそんな予感は一切ありませんでしたので買いませんでした。予感があっても当たらないのに、予感が無ければ尚更当たるはずもないですし。
 バラ売りもしているので1枚でも買えるのですが、だいたいは10枚単位で買う客がほとんで、最低でも3,000円の出費となります。そもそも宝くじの楽しみとは、「もしも当たったらどうしようか」ということに思いを馳せて夢をみるというエンターテイメント性であるわけですが、人によって感覚は違うでしょうが、私にとってはそういう妄想をするための値段が3,000円というのはいささか高く感じるので、買おうという衝動が湧き上がらなくなりました。

 暫く前、どこかの誰かが、宝くじのコマーシャルはあたかもたくさんの人が当選するかのような誇大な宣伝をしているので不当であるとして訴訟を起こした、というニュースを見ましたが、この訴えは如何なものかなと思いました。億単位の賞金がそうボンボン出るわけが無いことは普通に考えればわかりそうなものですし・・・。何かの本で読んだのですが、アメリカには「宝くじは神様が算数が苦手な人に与えた罰」という言い回しがあるらしく(但し、私がアメリカにいる間にこのフレーズを見たり聞いたりしたことは一切ありませんが)、要は当たる確立がどのくらいなのかを認識せず、どんどんつぎ込んで金を失うことの愚かさを指摘した言い回しです。宝くじとはそういうものだという前提を忘れて、ああだこうだと訴えを起こすのは何だかどこかが違うように思いました。