落とし物

 仕事を終えて、いつものように駅までは歩こうと思って会社を出ました。気温はやや低めではありましたが、歩いても汗をかかない程度の気持ちの良いサラリと乾いた空気でした。足取りも軽くどんどん進んでいったのですが、何故だか急に「今日はバスに乗った方が良いかも」という気がしてきました。体調が悪いわけでもないし、急いでいるわけでもないのに何でそんな考えが浮かんできたのか不思議に思ったのですが、その第六感的な直感に従い歩くのを中止してバスに乗ることにしました。

 バスはその時間帯としては乗客の数は少なく、私は運転席の左斜め後ろの席に腰を下ろしました。そしてふと足元を見ると何かが落ちているのが目に入りました。拾ってみると、交通系ICカードが入った定期入れでした。学生定期のようで、そこに記載されている名前から、どうやら女子高生の定期券のようでした。すぐ斜め前にいる運転手さんに渡そうかと思ったのですが、運転の邪魔をしてはいけないし、それを受け取ったところですぐに持ち主に連絡するといったことができるわけでもないので、終点の名古屋駅に着くまで待つことにしました。私のスマホには通勤で使う電車の会社のアプリが入っていて、それで時刻表や運行状況を確認したりするのですが、ICカードの残高を確認する機能があり、カードをスマホにかざすと残高が表示されるようになっています。この女子高生のカードの残高はいくらなんだろうかと思ってスマホにかざしてみると「3円」でした。勿論、仮にたくさんの残高があったとしてもそれを使ってやろうなどというつもりは毛頭なくて、逆にかわいそうだからいくばくかのお金をチャージしてあげようかと思ったほどでしたが、そんなことをしても気持ち悪がるでしょうから、そのままにしておき、終点に到着して他の客が全て降りたタイミングで「あそこに落ちていました」と言って定期入れを運転手さんに渡しました。