危機一髪

 死ぬかと思った、というフレーズは何か危機的状況を大袈裟に、あるいは比喩的に表現する場合に用いられることはあるかと思いますが、本当に「あともう少しで死んでいたかもしれなかった」という場面が私のこれまでの人生において2回ありました。もしかしたら気が付いていないだけで、実はもっとたくさんあったのかも知れないのですが、認識できたのは2回です。

 そのうちの2回目というのはつい先日のことでした。その日の朝、私はいつものように会社へ向かっていました。会社の最寄りのバス停のひとつ手前で降りて、コンビニに入り、ペットボトルの水などを買い物カゴに入れてレジ前に並んでいる時にふと横を見ると、おにぎりの棚に並んでいる「赤飯おこわ」が目に留まりました。見ているうち食べたい気分になったのでそれもカゴに入れました。会計を終えて会社まで歩いて行く道すがら、先ほど買った赤飯おこわを歩きながら食べたのですが、その時におにぎりの米が喉に詰まるような感覚がありました。私は喉の通り道が元々狭いのか、子供の頃からご飯が喉につっかえることが時々あるのですが、時間が経つと自然に喉を通過していくことがほとんどなので、その時もそのまま会社まで歩いていきました。しかし会社へ着いてからも喉につっかえたご飯はそのままで下に降りていきません。段々と苦しくなってきたので、水を飲んで押し流そうとしたのですが、喉が完全に塞がっているのか、水が喉から先へ全く入っていきません。そんなことは初めてのことで、相当苦しくなってきました。まだ朝早い時間帯で、そのフロアには私の他には2人しか出社しておらず、遠くにいるその人達を呼ぼうにも声が全く出ません。パニックに陥りながらも、救急車を呼ぼうかという考えが浮かんだのですが、スマホは離れたとこに置いてきてしまったし、ああどうしよう、私はこのまま死ぬんだろうか、よくお正月に餅を喉に詰まらせて亡くなる老人がいるけれど、あれはこういう苦しさの中で死んでいったのだろうか、ああ、マジでダメかもしれない、ああ・・・と力尽きそうになった時に、喉に詰まっていたご飯がスルッと下へ降りていき、苦しさから解放されました。やばかったなぁ、と額に浮かんだ冷や汗を拭い、暫く放心状態になりました。危ないところでした。もともと口の中が乾き気味だったところへ、もち米の赤飯という粘着力が高いものを食べ、しかも歩きながら食べてちゃんと咀嚼していなかった、という悪い条件が幾つか重なったのが原因かと思われます。今後はご飯などの喉を通過し難いものはよく噛んでから飲み込むように気を付けたいです。